Mission
伝統ある花街の文化をまもりつつ、
多くの人に、より深い京都を体験してもらいたい。
私は神戸で生まれ 小学生の頃より京都で育ち、40年近くになります。
正直に言うと、20代の頃は、歴史や伝統芸能に興味が持てなかったのですが。
30歳になり京都の魅力に気づき初めた頃に 運良く花街にご縁を頂きました。
初めて宮川町のお茶屋さんのお座敷に上がり 舞妓さんを近くで見た感動は言葉で表す事ができない程で、
美しさ、可愛らしさ、芸に打ちこむ姿への尊敬など 様々な感情が沸き起こりました。
折角のご縁を 若手の経営者や親しい友人たちに繋ぐ為に「お茶屋で遊ぼう会」を定期的に行い、
これまで百回以上の宴席を設け多くの友人と京都の文化を楽しみながら通常では
得難い出会いを沢山頂きました。
最初は作法がわからず お茶屋のおかあさんや芸妓のおねえさんに教えて頂く事ばかりでした。
その中には、何故そこまで考える必要があるのかと当初は感じる事もありましたが
何故花街でそのようにしているのかの訳を知った時に、これまでの京都の歴史や300年以上続いている花街の奥深さを感じました。
また少なからず自身の事業に対する考え方にも影響をあたえ、継続してく事の大切さを教えてもらいました。
既に花街に出入りを許されてから13年が経ちましたが 最近気づいたことがあります。
それは花街のお客様層の変化と将来です。
呉服業界や伝統産業が盛んだった頃は、京都の西陣など呉服に関わる会社の旦那さん達が贔屓にされていたようですが、
時代の流れにより 京都のお客様から、東京など京都以外のエリアのお客様に変わってきているようです。
実は京都に住んでいても花街と縁を持っている方はほんの一握りで、
若い方でご縁がある方はお父様やお祖父様がお客様であるケースが多いようですので、
新たに若いお客さんが縁を作るのは難しいように感じます。
実際に、お茶屋の女将さんや芸妓さんからも、今ご贔屓にしていただいているお客様の中心となるのは、
京都より東京など他府県の方が増えている事、お客様の年齢層が60代、70代であることから
将来的にお客様が少なくなってしまうのではないかとの声を聞きました。
確かにお会いするお客様は、大先輩が多く私達の年代は非常に少ないように思います。
原因として 一見さん御断りのルールが考えられます。
花街の一見さん御断りとは、一度馴染みのお客様とご一緒すれば 二度目から出入りを許されるという事ではなく、
何度も通っているうちに お茶屋の女将さんに信頼され、そのお茶屋のお客さんとして認められて初めて、
自身の出入りができるようになることを言います。
その際にはお茶屋さんは紹介者にも許可をとります。
なぜなら、支払いは翌月以降に請求が届いてからの後払いが原則となっており
もし自身が紹介した方が支払いなどの問題があった場合、紹介者が責任をとることが
暗黙のルールとなっているからです。
このように信頼の繋がりのみで営みを継続してきたからこそ、今日まで継続してこられたと思う事は、
私自身の人付き合いや経営者としての在り方にも活かされており、ご縁をいただけた事を誇りに感じております。
一方、いくら伝統文化を理解し敬う気持ちをもっている信頼できるお客様であっても、
周囲に紹介者がいない場合は縁が繋がらないというのでは、非常に勿体無い事だと感じております。
一見さんといった伝統的なしきたりが、花街の敷居を高いものにすると同時に
花街を魅力的なものにしていることに最大の敬意を払いつつ、
私はこの伝統ある京都にしかない花街の文化を、日本人のお客様は勿論、
世界中におられる京都の文化に親しみの気持ちをもって応援して下さる方々と一緒に守っていけるように
営んで参りたいと思っております。
ご指導、ご支援のほど、何とぞよろしくお願い申し上げます。
代表 澤田賢二